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キノコ荘の名前の由来 |
キノコと限定する必要はないんですが、
菌類とかバクテリアとか微生物とか、とにかく「分解者」の役割を果たす存在って、
地球のセラピストだと思うのです。
生命活動のために必要だから生み出された存在が、いずれその役割を終える。
落ち葉、朽ち木、枯れ草、脱皮の際に脱ぎ捨てられた皮、成虫が飛び去ったあとのサナギ、繭、孵化したあとの卵の殻・・・etc.
そしてもちろん、死骸、糞。
それらを、分解して再び土に還し、新たな生命エネルギーとして再生し、循環させる存在。
それがキノコであり菌類であり微生物群ですよね。
それって、セラピストだと思いません?!
ボディセラピストはまさにそうですよね。
体内で役割を終えたもの(老廃物)の、分解、排出、循環をうながし、新鮮な生命エネルギーと置き換えていく。
「良く終わらせる」
「良く分解させる」
「良く排出させる」
「良く循環させる」
のを手伝う。
そんな、存在。
心理セラピストもそうですよね。
今までの自分にとって必要だった、感情、想念、信念体系、行動パターン。
それらが、その役割を終え、もう不要になったとき。
「良く手放す」
「良く終える」
「良く卒業する」
のを、手伝う。
そんな、存在。
すべての存在って、生まれて(芽生えて、発生して)、育って(さかえて、活躍して)、老いて(衰退して)、死んでいく(排出されていく、消滅していく)と思うのです。
生まれて育って活躍する、そういう右肩上がりのベクトルは喜ばしいものとして歓迎され、脚光を浴び、注目されやすい。
「成長」「獲得」のエネルギーですよね。
でも、同じくらい必要で大切で重要な、
老いるとか、衰退する、とか、死ぬとか、終えるとか手放すとか、そういう右肩下がりのベクトル(喪失のエネルギーですよね)は、忌み嫌われやすい。
無かったことにされやすい。
見て見ぬふりされやすい。
キノコなど自然界の分解者が、死骸や糞などを引き受け、腐敗させ分解することで、
生命エネルギーを循環させ健全で豊かな森の維持を請け負うように
セラピストは、「良く終える」「良く手放す」「良く休む」「良く喪失する」「良く嘆く」などを手伝うことで、
健全で豊かな人生の維持を請け負うのだと思うのです。
「良く終える」ことができた人は「新たに始める」ことができ、
「良く手放す」ことに成功した人は「新たに獲得する」ことに成功し、
「良く休む」ことができれば「新たに活躍する」ことが容易になり
「良く喪失し、良く嘆く」ことさえ許されれば「新たに出会い、新たに愛する」ことに再度チャレンジしやすい。
それを手伝うのがセラピストだと思うのです。
これが、「キノコは地球のセラピスト」だと思うゆえんです
言い換えれば、「分解者は地球のセラピスト」。
役割を終えたものを新たな生命エネルギーへと再生させる存在。
というわけで、私はキノコを深くリスペクトしているのです。
忌み嫌われやすく、目を背けられやすく、無かったことにされやすい側面
しかし万全に存分に生きるためには丁寧に丁寧に寄り添い味わい抜くことが欠かせない側面
喪失と手放しの側面
そんな側面にとどまり続け、サポートし続けるような、分解者という存在を。
私にとってキノコは、浄化とデトックスと再生を司る象徴のようなものなのです。
以上のような思いから、このスペースを「キノコ荘」と名付けました。
この家が、「風の谷のナウシカ」の腐海のように、「役割を終えたものを浄化し再生していく場」でありますように。
生命エネルギーが滞りなく循環していくのを助ける場ですように。
循環や手放しや浄化をサポートすることができる人たちを育てることのできる場ですように。
ここを通して、多くの優秀なセラピストさんたちや、光の大切さだけでなく影の大切さをよく知るライトワーカーさんたちが飛び立っていきますように。